Mar 16, 2014

will be there for one more year...

I always keep thinking
What can I do for them as a theacher.
Because a teacher is not my permanent job,
but meeting my students will be my permanent treasure.
もうすぐ教師生活1年が無時に終わろうとしています。
来週は最後の授業。
3年生は皆無時に卒業しましたが、
1年生、2年生とは、
まだまだ仲良く奮闘中です。
先日綴った3年生の授業とは違って、
1、2年生はそれぞれ20名、25名のクラス編成で、
一般的な高校英語の教科書を使って授業を進めていきます。
学年をそれぞれの選択に分けているので、
もちろん他の先生方とペースや内容を合わせる必要があり、
自分だけのオリジナルの授業づくりができる訳ではなく、
大変でしたが、
とても勉強になりました。
6年間のNY生活で分かったことのひとつに、
やっぱり語学は机に向かってちゃんと勉強しないと身につかないということ。
文法や語彙がどれだけ大切か。
残念ながら、表層的な日常会話はできても、
私の英語レベルはまだまだでした。
でも、教師をやるということが決まって、
中途半端な気持ちでは生徒に失礼だし、
自分に自信をつけるためにも、
中学英語の文法から勉強し直しました。
そして、TOEICなどの検定も受けて、
自分の英語レベルとちゃんと向き合うこと、
そして、伸ばすこと。
正直、怖かったですが、
今は結果を踏まえて、
着実に努力ができるので、
とても前向きに楽しんで勉強できるようになりました。
そして、2月末に学年末テストを終えて、
教科書を無事に範囲まで問題なく教えることができ、
残りの数週間は、
教師1人1人自由に授業プランを考えていいことなったので、
私は3年生の授業でやった内容をダイジェストにまとめて、
NYをテーマにしたオリジナル授業を準備しました。
もう教科書が終わったから遊べる!と喜んでいた生徒たちに、
自分の授業をはじめる序章として、
私が海外に興味を持ったきっかけを話しました。
クラスの9割が英語が苦手な生徒ばかり。
「なんで日本人なのに英語なんか勉強しないといかんの?」
「英語なんてこの世からなくなればいい~!」
が、口癖の彼ら・・・。
実は私も英語が得意!なんて思ったこと、一度もありません。
ただ、田舎町の小さな地元がつまらなくて仕方なかったこと。
小学校ひとつ、中学校ひとつ。
9年間同じメンバー。
勉強にも部活にも気持ちをそそぐことができなくて、
いつも雑誌(OLIVEやMC.SISTER)を見ながら都会に憧れ、
テレビは毎週土曜日深夜にやっていたNHKの海外ドラマ、
『ビバリーヒルズ高校白書・青春白書』や、
夕方に教育テレビでやっていた『素晴らしき日々』
を見ながらアメリカ(海外)に憧れていた幼少時代。
とにかく自分の居場所がここじゃないどこかにある!って、
そんなことをずっと信じていた女の子でした。
そして、みんなが選んだ地元の高校ではなくて、
1人だけ隣町のもう少したけ都会の私立高校の英語科へ入学しました。
その学校を決めた理由は、
(前にも書きましたが)英語が得意だったから、ではなく、
修学旅行の代わりに2年生の夏休みに、
New ZealandかAustraliaのどちらかに短期留学ができること。
そして、
少しでも環境を変えたかったこと。
初めて経験した海外生活は、
ホストファミリーにも恵まれ、
想像以上に素敵な時間で、
なんだか、頭の天辺がぱっかり割れて、
今までの鬱々としたものが、
パーッと放たれた感じ。
今も笑い話で時々するのですが、
短期留学を終え、
名古屋の空港に迎えに来た母の顔を見た瞬間、
涙がポロポロ止まりませんでした。
普通はホームシックにかかるのに、
私は、
「日本になんかに帰って来たくなかったよ~。
またNZに戻りたいよ~。」と笑、
逆ホームシックに。
母の心を傷つけたのでした。
そして抱き始めたのが、
海外留学の夢。
それでもやっぱり、英語は得意になれなかった…。
だから大学も、
本当は英文科に入りたかったのですが、
当時の「編集者になりたい!」という夢を言い訳に、
現代社会学部で情報メディアについて勉強することに。
言っちゃえば、
自分の英語レベルが英文科レベルではなかったのです。
3年目を終える頃、
やっぱり自分の中には″海外留学″、
そして、″英語″という2つのワードがモワモワと居すわっていました。
そして、
最終的に、
就職でも大学院でもなく、
編入学部という選択をしました。
「教員免許をとる」という条件で、両親を説得して、
現代社会学部を卒業後、
同じ大学の英文科へ3年生から再スタート。
本当に両親には迷惑をかけてばかりです…。
そして、
社会人時代3年間で貯金をして、
2006年NYへと留学の夢を果たすことができました。
そこからは、
私のNY時代、
これまで行った9か国16都市の写真を見せながら、
海外の友人たちとの出会いやエピソード、
それぞれの街の風景や空気、
私が感じたこと、思ったことを、
コメントしながら。
残念ながら、
18年間の学生生活を通して、
私には心に残ったり、影響を受けた恩師が1人もいません。
自分にとっての恩師と言える人々との出会いは、
大人になってからのものでした。
私にとっての″恩師″ってどういう人かな~と考えてみると、
それは、
『ただ勉強を教えてくれる人ではなくて、
自分自身がこういう生き方をしてきたんだよ、と、
自分の人生のバックグランドを見せようとしてくれる人。』
でした。
教師生活の中でいつも心で考えることは、
自分が生徒だったら、どういう先生と出逢いたいか、ということ。
ああしなさい、
こうしなさい、
と言って人を動かすことよりも、
自分で行動や姿勢示すこと。
だから、誰よりも掃除の時間は頑張ったし、
廊下にゴミが落ちていたら、
「それ拾いなさい!」ではなくて、
自分で率先して拾うこと。
夏の暑い日に、
毎日授業を窓全開でやっていたのですが、
授業が終わると必ず何も頼んでいないのに、
毎回残って窓を全部閉めてくれる男子生徒が2人いました。
その子たちのことは、
夏が終わったときに、
授業内で、
大きな声で名指しで、
「本当に嬉しかった!ありがとう!泣きそうだった!」
と心から褒めてあげました。
2人の照れくさそうな顔がとても嬉しかった。
私の過去は今の自分を作った宝物です。
そして、
今の生徒たち全員のことが大好きだから、
自分のバックグランドを知って欲しかったのです。
私はこういう生き方をしてきたんだよって。
でもそれは、
だから英語を好きになって!海外に興味を持って!
といった決して恩着せがましいものではなく、
こういう生き方もあるんだ~、へえ~。って思ってくれたら、
本望なのでして…。
いつもうるさくて集中力のない彼らですが、
私のこの授業内は、
みんな目をキラキラしながら、
静かに聞いてくれていました。
3年目の3月11日を終えて、
NHKのスペシャル番組内で、
被災された南相馬の男性が、
まだ片付かない自宅の瓦礫前で、
「義援金を何に一番使ってほしいか?」
という記者の質問に、
「金を使って瓦礫の山を片付けても″人間″はつくれない。
″人間″をつくれるのは『教育』だけだ。
だから、『教育』に一番、金を使ってほしい。」
と仰っていました。

当時は、
親への手前と保険のつもりでとった教員免許。
自分が教師になることなんて皆無だと思っていました。
ですが、今、教師生活1年を終えて、
そして、この南相馬の方の言葉を聞き、
私はとても尊い仕事をしているのだ、
と自覚できた瞬間でした。
これが自分のゴールではないけれど、
生徒との出逢いから学んだことは、
本当に大きかった…。
もう1年、この仕事をやっていくつもりです。

ps

今、私がお世話になっているのは、
『みんなが選ぶ地元の高校』です笑。
人生って皮肉なものですね。
でも、
一度外に出てみると、
昔は魅力を感じなかった地元が、
いかに素晴らしい場所か再確認できたのでした。

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